こんにちは、ぽふです。
昨日わかったことですが、北海道寿都町の町長が、核のごみの最終処分選定手続きの第2段階に当たる「概要調査」への移行について、北海道の鈴木知事が反対の意向を正式発表した場合、住民投票を行わないとの考えを13日に示したそうです。
この問題の本質でもあることですが、町内の大部分が処分場建設の不適地となる可能性があると有識者が既に発表しております。
また、概要調査の対象から外される要件の一つである「第四紀火山」が町内にある可能性が高まっているそうです。
この文献調査の時点で、今回の核のごみの問題については、建設不適地という結果で終わっていると思います。
この答えが出ているのにも関わらず、寿都町長の考えは、北海道知事に判断をさせる意向で、それは町長の役目としていかがなものなのでしょうか。
そんな判断もできないようであれば、早々に辞任をするか、リコールの対象になるのではないかと思ってます。
あれだけ住民投票をするという言葉を信じていた町民は、結局蚊帳の外でした。
4年前の会談
4年前、鈴木知事と寿都町長が会談した様子がテレビに流れていました。
鈴木知事が、交付金を奨学金に例えて、「奨学金を出すのが国だとすればですね。ある意味では学校に行くときにお金を出すときに中退をすることを前提として奨学金を出すことをなかなかそういうことにはならない」と発言していました。
わかりやすい例えですね。
寿都町長が「極力中退とならないようにですね」と言っているときに、鈴木知事は、イラストのある資料の最終場面の「施設建設地の選定」を指差して、
「そうそう。個人的にはそこまでいくべき」と、寿都町長が答えていました。
この時点で、ふたりのアイコンタクトの確認を見せられ、今回鈴木知事に丸投げするということは、最終場面にまで行くということの始まりを見せられているのでしょうか?
知事の言葉には裏と表があって、町長はそれを知っているから、今回丸投げを選択しているのですね。
また、この放送も大切なことを言っています。
結局は国に決定権があって、北海道の知事が決めれるような問題ではないのかもしれません。
寿都の自然は残る
血の繋がった親戚のおばさんが寿都にお嫁に行って、寿都で102歳まで長寿をまっとうしました。
漁師のお嫁さんになって、幸せそうに暮らしていました。戦争も体験した方でした。
子どもの頃、寿都に遊びに行ったとき、寿都の海の香りがする中、ウニを割って食べさせてくれました。
ウニの綺麗な色合いと、しょっぱい味わいが忘れられません。
お盆のときには、スイカを持って落として割ってしまいました。
たくさんの人がいる中、だれも怒らず、和やかに笑ってくれました。
寿都の人たちは、何でこんな問題に関わらないといけないのでしょうか?
素朴な田舎の人たちのところに、方言で「ほいど」とも言いますが、欲深い、いやしい人たちが入り込んだのでしょうか?
あの時、わたしに笑いかけてくれた寿都の人たちは、もうこの世にいないのですが、先祖の魂の礎は、寿都町全体をあたたかく包んでいるように思います。
なぜそう思うのか。
それは、寿都の人たちのあたたかさが、わたしの中にまだ残っているからです。
それ以上に、寿都の町はお伽話のような雰囲気に包まれていると子どものときに感じました。
おばさんの家から見える、寿都富士と母衣月山(ほろづきやま)。海も空も空気も緑もすべて綺麗なその町は、どんなことをされようと残る。寿都の自然は破壊されない。背は小さいけど、気が強いおばちゃんの姿を思い出して感じたことです。
またおばちゃんの手作りの飯寿司が食べたいなぁと懐かしく思いました。
おばちゃん、たくさん作るんだよな。