こんにちは、ぽふです。
家にある民話の全集をいつ読みきれるんだろうと手に取った時、ふと子供の頃に読んだ『三枚のお札』の絵本のことを思い出しました。
今日は、『三枚のお札』のお話から思ったことを綴りたいと思います。
三枚のおふだ
『三枚のお札』のお話は、みなさんご存知だと思いますので、ここではあらすじを省略しますが、逃げる小僧と追いかける山姥の描写が怖かったのを思い出します。
小僧が命かながら逃げる場面。大きな川も大きな砂山も「おのれ、まてぇ」と言って追いかける山姥の姿は、なんとも言えない臨場感があって、絵本なのに現実的で恐ろしいほどです。
また子供の頃、本の表紙が見えるだけでも怖くて、見えないようにハンカチをかけて隠していたことを思い出し、本当に怖かったんだなと思います。
このお話は、青森県および埼玉県川越市の昔話だそうですが、絵本になって、全国の子供たちによく読まれている有名は絵本です。
物語の最後
大きな川も大きな砂山も超えて追いかけて、とうとうお寺についた山姥は、和尚さんと対峙することになります。
最後は和尚さんによって、山姥は豆の大きさにさせられて餅にくるんでガリガリと食べられてしまいます。
災難や化け物に打ち勝つ昔話の一つとして、有名ですが、いつ思い出しても結末はハラハラします。
民話や昔話は、何か教訓を教えているようで、とても学びになります。時間がある時に、読みたい民話の本がたくさんありますが、まだ全て読み切っていません。
またこのような民話や昔話は、多くの子供たちに読み聞かせてつないでいくことが大切だと思っています。
貴重な民話の語り部
島根県松江市にある出雲かんべの里の旧館長が山陰地方で収集した音声が残っていますので、ぜひご視聴ください。
語り手の大原寿美子さん(明治40年生まれ)の語り口にとても引き込まれて、最後まで聞きたいと思うほどです。大原さんの優しい声が心地よく、心が温かくなります。
昔の大きな黒光りする板戸の部屋で、子供たちが大原さんの周りに集まって、そのお話をじっくり真剣に聞いている。そんな昔の様子が目に浮かびます。
山姥(やまんば)とは
実際に山から追いかけてくる山姥はいるのでしょうか?
「そんな人いないから大丈夫だよ」って子供の頃の自分に言ってあげたいところですが、そうでもないかもしれません。子供には嘘を付けませんし、案外子供のほうが真実を見抜いている時もあります。
よこしまなこころ
突然ですが、みなさん一休さん名言はご存知でしょうか?一休さんはアニメで有名ですが、たくさんの名言を残しています。そのひとつをご紹介します。
「鬼という 恐ろしいものは どこにある 邪見な人の 胸に住むなり」
意訳:鬼という恐ろしいものはどこにいるのか。それは、よこしまで不正な心を持った人間に住む。
禅では、自分の心の中に仏もいて、鬼もいるという考えです。あくまでも一休さんの禅の教えですが、人間は油断するとそういった心になってしまうと、山姥のように取り返しのつかないという教えだと思います。
山姥と鬼婆は、生息地が異なるなど微妙な違いがありますが、鬼婆の方が凶暴性が強いらしいです。なんせ鬼ですからね。
子供といえども
この「三枚のお札」のお話は、子供の自立を諭していると解釈されることが多いようです。
それもわかりますが、山姥や鬼婆のような邪な(よこしまな)心の持ち主はこの世に多いように思います。子供といえども、いじめ問題などで苦しんでいる子供たちに果たして何て言ってあげたらいいのでしょうか?
子供たちのことを思って
子供たちに言いたいことは、まず山姥のようなものから全速力で逃げること。引きこもりや不登校などはイメージが悪く捉えがちですが、そういう子供こそ、勇気があっていいと思います。
今の世の中は、○(マル)と✕(バツ)だけの世の中で、たまには△(サンカク)があってもいいと思います。学校に行くことが○、行かないことが✕、それだけだと子供は苦しい。今日は△の日だねって言って欲しい時もきっとあると思います。
無理やり親が学校に連れて行くことも聞きますが、まず子供の訴えを信じてあげてほしいと思います。
また、『三枚のお札』のお話は、生と死の狭間を味わう臨場感があって、さらに怖いのだと思います。
子供は日本の宝
子供の話になると、ついつい熱くなってしまいました。でも、子供は日本の宝です。また、そのお母さんも命がけで子供を守っています。
ある国会での答弁
議員:「幸いに命を授かって、0〜1歳までの産婦さんのいちばん多い死亡原因は何だと思われますか」
大臣:「自○です」
子供とお母さんを守らなければならない。そう思っています。
今回のブログはあくまでも個人の見解ですので、その辺はご理解ください。
でも大切なお話ですので、書かせていただきました。
お読みいただき、ありがとうございました。